2015年11月30日 (月)

世界は美しい。

世界は美しい。
つい、そんなことを思ってしまったのだ。

手術の翌朝、主治医の診察のあと、右目の眼帯が外された。
世界が眩しい。
そういえば、もう何年も、左目ひとつで光を感じ、映像をキャッチしていたのだ。
もちろん、視界が半分であることの不便さは日々感じていたけれど、光の量についてはあまり違和感を感じたことがなかった。長い時間をかけてすこしずつ右目が使えなくなっていったので、目に入ってくる光の量の減少に無意識のうちに慣れることができていたのかもしれない。

光量半分に慣れきっていた僕の目と脳に、今日から倍の量の光が注がれることになる。そりゃあ眩しいだろう。そういえば、入ってくる情報の増加に脳がついてこれず、情報を処理しきれなくなった脳が悲鳴をあげることがある、と主治医に言われたっけ。具体的にいうと、大変な頭痛に悩まされることになるらしい。慣れるまでの辛抱らしいけど。

眩しさに目をしょぼしょぼさせながら退院の準備をする。会計を済ませ、病院を出ると、昨日、入院したときと景色が微妙に変わっている。いや、景色というか、色だ。
空の色が、木々の色が、雲の色が、昨日とは違っているのだ。
もちろん、空が赤くなったり、木の葉が紫になったりしたわけではない。

空は青で、木々の葉は緑で、雲は白い。
それはもちろんそうなのだけれども、昨日見たものとは明らかに違う色だったのだ。

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2015年11月10日 (火)

bloodshotだぴょん。

His eyes are always bloodshot.
(彼の目はいつも充血している)

「充血」という言葉を、携帯の辞書アプリで検索してみると、こんな例文が書いてあった。

bloodshot.

……なんだか響きがカッコいい。

僕の目はいつも充血している。
そこにはささやかな理由があり、現在のところの予想としては、おそらく一生、充血人生を送ることになる。最初はけっこう気になったけど、今はこれが普通の状態だたと思っている。
カラスは黒、シロクマは白、パンダは白黒、僕の目は赤。
それだけのことで、特にこれといった問題はない(まあ、多少見栄えは悪いけど)。

とはいえ、見慣れない人にはちょっとインパクトがあるようで、

「どどどどうしたんですか、目、真っ赤ですよ」

などと心配されたり、

「おいおい徹夜明けかよ、何してたの」

などとからかわれることが時々ある。
心配されてるにせよからかわれてるにせよ、目が赤い理由を聞かれているわけなので、うまいこと回答したいのだが、なかなかいい答えが思いつかない。
こういうとき、馬鹿正直に、

「あ、目の病気やってまして」

とか、

「これがアナタ、治療用目薬の副作用なんでやんすよ」

とか答えてしまうと、相手はおおむね、「しまった」という顔をして、伏し目がちに謝られたりするのである。

こちらとしては普通のことを普通に説明しているだけなので、謝られてしまうと申し訳ない気持ちになる。
とはいえ、謝ってしまう気持ちもわかる。

なんとか、相手に謝罪の気持ちを起こさせず、この会話を終わらせる回答はないものか。この際、多少のウソが入っていてもかまわない。

いっそ、

「実は僕、ウサギの生まれ変わりなんだぴょん」

などと言ってみるのはどうか。
なんなら、両手をウサギの耳に見立てて頭頂部両脇に置置き、そろえた指先をピコピコ動かしながら言ってみてもいい。

どうだろうか。

ダメにきまってるじゃないか。

2015年11月 9日 (月)

情熱の馬鹿。

はるか昔。
そういえば壁ドンをしたことがあったぞ、という記憶は少なからず僕を動揺させた。
というか、現在、動揺真っ最中です。

だってこのオレがだよ。
笑っちゃうというか、それすら通り越して、引くわー。

でも、でもですよ。

気を失いそうになるほど恥ずかしい過去の記憶って、おそらく誰にでもあるのではないでしょうか。

夜中に書いたラブレターとか。

ギターを弾くのが趣味で尾崎豊ファンの友達に頼まれて、彼のオリジナル曲に作詞をしたら「うん……まあ、悪くはないと思うんだけどさ、お前は社会に反抗するような詞は書かない方がいいんじゃないかな。どうがんばって読んでも燃えてこない」と、すまなそうに言われたとか。

バイク雑誌の小説投稿コーナーのハードルが低そうだという噂を聞きつけて、バイクの事なんて全然知らないのに「そのエンジンの回転音がオレのハートをたかぶらせた。今日のオレの獲物はどいつだ。そう、オレは都会のハンター」みたいな小説を送っていたとか。

……。
……。
……。

(書かなきゃよかった)

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2015年10月29日 (木)

ドラマチック!

ふと、

わが人生でドラマチックと呼べる出来事がどれだけあったのか、

というようなことを考えてみる。

「今が幸福の絶頂!」というような高揚感もないかわりに「もう生きているのがイヤ」というような絶望もない、比較的平和な日々を送っている僕が、なんでまたそういうことを考えたのかというと、来月、はじめて入院と手術を体験することになったからなのです(入院といっても一泊だけだし、手術も短時間らしいし、それをもってドラマチックとまでいっていいものか迷うところはあるのですが)。

別に好んで入院するわけではない、というか、できれば入院なんてしない人生のほうがいいのでしょうが、とはいえ「でもちょっと楽しみ」というほどではないものの、野次馬根性というか、ちょっと「工場見学とか社会科見学に行く」気分に近いような、プラス方向の気分もなくはなく、

「どうしよう美人看護婦との運命的な出会いとかあったら」

という心配をしておいたほうがいいかどうか、ちょっと思案中です。

それはさておき。
入院という久々に起きた人生の珍事を前に、これまでの人生の中において、他になにか珍しいことってなかったかしら、と回想してみたところ、

「壁ドンをしたことがある」

という、なんとも恥ずかしい記憶が発掘されてしまいました。
およそ20年ぶりによみがえる衝撃の事実。
というか思い出さなければよかったこんな恥ずかしい記憶。
今現在、キーボードを叩く手のひらにうっすらと汗をかいています。
ドラマチック、やっぱ向いてないかも。

2015年10月27日 (火)

真相はドアの中。

会社用カバンに入っているメモ帳に、くっちゃくちゃの筆跡で何か書いてあった。

いつどこで書かれたものか、まったく記憶にない。
筆跡の雰囲気と、会社用カバンに入っていたメモ帳に書かれていたという状況から考えて、自分で書いたくちゃくちゃだとは思うのだが、あまりにもくちゃくちゃすぎて、何が書いてあるのかわからない。

歩きながら急いで書いたのだろうか。それも左手で。

というくらいのくちゃくちゃ具合ではあったのだが、内容が気になったので解読を試みる。
解読は困難を極めたが、数十分の努力の末、おそらくこれで間違いないのではないか、という結果を得ることができた。おそらく他人がやっていたらこの短時間で結果を出すことはできなかっただろう。さすが自分。

で、そのくちゃくちゃに、何が書いてあったというと……、

「自動ドア」

……いよいよ謎は深まってしまった。

2015年10月26日 (月)

眠れぬ夜のために。

「そろそろヘッドフォン復活かなあ」
ふとそんなことをつぶやいたりしたら、それはもう秋も深まり冬一歩手前、というところなのである。
夏場のヘッドフォンは暑い。
なので、夏はイヤフォンの季節なのである。

ちょっと話は変わるけど、世の中には、ヘッドフォンとイヤフォンを同じものだと思っている人がけっこういるようだ。まあ、使い道は同じだし、ごっちゃにして認識したところでそれほど問題はないけれど。

そういえば、個人的には分けて使ったほうがいい単語のように思えるのだけど、アニメのことをマンガと呼ぶ人は意外と多い。
その昔、アニメ番組自身が「テレビマンガ」などと自称していたこともあるので、その影響がまだ残っているということなのかもしれないけど、もう21世紀なんだし……ねえ? と思わなくもない。

スマホとiPhoneを別のものとする考え方があることを、ごく最近まで知らなかった。
「ああ、キミはiPhoneなのか、オレはスマホだから」
などと言われ、一瞬混乱してしまったのである。

世の中の携帯電話は、大きくスマホとガラケーに分けることができる。
で、スマホは、iPhoneとAndoroid搭載機種に分けることができる(細かくいうともっとあるけどね)。
……というのが私の見解だったのだが、Andoroid搭載機種をスマホと呼ぶことでiPhoneと区別するという考え方は、けっこう支持されているようだ。この場合、スマホという言葉は「その他」に近い意味になるのだろうか。
「ああ、キミはiPhoneなのか、オレはスマホだから」
は、
「ああ、キミはiPhoneなのか、オレはiPhoneじゃないほうだから」
と言っているのとかなり近いのかもしれない。それって、iPhoneからみた相対的な座標でしか自分の立ち位置が表現できない、ということにはならないのでしょうか。Andoroidファンの人はそれでいいのかしら。
……って、何を書いているのだ私は。

理由はよくわからないけど、なんだか寝付けない夜というのがたまにある。
そういう夜に思いついたことは、たいていろくでもないのである。

今日だって、「久々にヘッドフォンを引っ張り出したらコードの状態がよくなかったので、交換用のコードを買いに行きました。ヘッドフォンが登場するようになると、私の中ではもう冬です」みたいなことが書きたかっただけなのである。

2015年7月26日 (日)

革靴の中のレジスタンス。

靴下がぼくを困らせる。

もうずっと長いことはいていたから、ゴムがゆるくなるのはわかる。それが経年劣化というものだ。
人間だって、機械だって、靴下だって、長いこと生きていればガタがくるのだ。
それはもう、覚悟して迎えなければいけないことなのだ。

問題は、経年劣化靴下の中に時折あらわれる、反抗する靴下なのである。
ゴムがゆるんだ靴下が、ふくらはぎをホールドできなくなって、かかと近辺まで落ちてくるのはわかる。万有引力の法則というやつだ。
「すまん、オレ、もうお前のふくらはぎを守れなくなった」
みたいな状態の靴下であれば、
「いいんだ。お前はよくがんばった。お疲れ様」
くらいのことは言えるのである。それがお気に入りの靴下であれば、目尻に涙すら浮かぶかもしれない。

ところがだ。
反抗する靴下ときたら、ふくらはぎからかかとを通り越して、土踏まずあたりまで落ちていくのである。
いや、かかとを通り越したところから横移動になるので、落ちていくという表現はおかしい。おかしいけど、他に何といっていいのかわからない。
だいたい横移動ってなによ。それはもう、自然現象ではなく、靴下の意思からくる行動ではないか。

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2015年7月22日 (水)

アディダスにさようなら。

何年も履いて壊れてしまったスニーカーを捨てようとしたところ、ウチの娘さんに、

「捨てる前に写真撮ったら? 気に入ってたんだし」

と提案される。
なるほど女の子とは可愛らしいことを考えるものだ、と感心しつつ、犬の散歩のついでにスニーカーの「遺影」を撮ることにする。

散歩しながら自分で自分の足元を撮るのが意外と難しかったので、撮影はおおむね娘さんにおまかせしたのだが、撮影された画像の全体的な傾向として、なんというか、はたしてこれはスニーカーを撮ったといっていいのだろうか、というような作品が多かったように思う。

Fullsizerender

……犬を撮りたかったのだろう、これは。
というか、なんでぼくの足がマイケル・ジャクソンみたいになっているのだ。

2015年7月21日 (火)

最後のお買い物。

リブロ池袋の最終営業日、吉田戦車の『おかゆネコ』最新巻を買いました。

跡地には三省堂が入るそうですね。

三省堂、わりと好きではあるのでちょっと安心したところはあるものの、大昔、神保町の書店街を徘徊していた頃は、三省堂よりも書泉派でした。
もう神保町にもとんと行っていませんが、風の噂によると、書泉はずいぶんと思い切ったキャラ転換を行ったみたいです。
「オタク文化にも強い総合書店」から、「オタク専用書店」に変身したらしいんですけど、ホントかなあ。そのうち、神保町に足を運んで確認してみようと思います。

それにしても新しくやってくる三省堂はどのような面構えの本屋になるのでしょうか。ただの大きな本屋だったら、ジュンク堂にかないませんからね。

リブロで見つけた高橋源一郎のサイン。



2015年7月11日 (土)

これという内容もないような。

ブログを更新すると、Facebookに自動的に通知される仕組みを導入しているのだが、いつのまにやら無効になっていたようだ。
(現在は復旧済……のはず)

この手のサービスは、「無料」、「英語」、「不安定」というのが普通らしいので、こういう場合、

「ま、そういうこともあるよね。ふふ」

くらいの感じで対応するのが通というものらしい。

それはさておき。
それほど頻繁に更新するわけでもないブログの更新状況を、なにゆえにFacebookに通知するのか。
我ながら、それがわからない。

世界に対して何か発信しようという意欲も、メッセージも、文章力もないこのワタシが。

おそらくは、なにかの偶然に、

「ブログの更新状況とかって、Facebookと連動できるらしいよ」

ということを知ってしまい、

「えー、タダでできるんだー。やってみるー」

みたいな感じで方法を調べたり設定したりしたのだろう。
おおそうかも。たしか、そういうような気がしてきた。

実際、ブログを書いただけで、Facebookに「更新されましたよ」みたいなメッセージが自動的に表示されるのって、やってみるとちょっと面白かったりはする。
まあ、すぐ慣れちゃうのですが。

こういう、目的と手段が逆になってしまうようなことって、人生の中で時々起こる。
なにせ時々なので、今ここでぱっとうまい例は思いつかないんだけど、たまーに起こる。

たとえば、新しい自転車を買って、とにかくペダルを踏みたくて、行き先も決めずに出かけてしまう感じ……かなあ。

ついさっき、パソコンの中から、
「ビルの街にニャオー」
という名前のファイルが発見された……のはいいんだけど、中には何も書いてない。
おそらく、まずはタイトルを思いついてしまって、中身はあとで考えるつもりだったのだな。

それにしてもこのタイトル……。
もし文章として完成していたら、どういうものになっていたのだろう。

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